罪を犯した少年が、生活保護を受けず、再犯をせず、いきいきと働けるように。
2023年、株式会社MIYACOの代表を退任し、株式会社一(ICHI INC.)を設立しました。再犯防止に関する事業を「HIGH HOPE」と名付け、一人の人間が可能性を発揮し、希望を生み出すために必要なサービスを開発しています。
狭いコミュニティの中では、偏った考えにしか触れられない
僕が再犯防止の世界に飛び込んだのは、児童養護施設との関わりや、いわゆる「半グレ」と呼ばれる若者たちとの接点ができたことによって、日本の現状を知ったからです。
児童養護施設に関わるきっかけをくれたのは、小学校からの同級生でした。当時は知らなかったのですが、大人になってから施設出身であることを話してくれました。彼は結婚して家庭を持った今も、親から虐待を受けた影響で、自分の感情を表に出すことが難しいと悩んでいます。「こんなにいいやつやのに、家庭環境のせいで人生の歯車が狂ってしまうんや……」その事実は、両親から愛されて育った僕にとって衝撃的でした。弟もひどい虐待を受け、もう何年も連絡が取れないそうです。
施設に恩返しがしたいという彼と共に、20代の頃からボランティアで児童養護施設に通っていました。当時、僕は地元のサッカーチームのコーチもしていたので、両親と共に暮らしている子と施設で育つ子の両方を見て、その違いを感じるようになります。施設には、愛情を受けたい、かまってほしい、という思いが溢れ出ている子もいれば、大人に対して無関心を貫く子もいました。
同時に、10代の女の子たちの危うさを目の当たりにします。何日も帰ってこない子がいたり、施設を出た子が風俗で働いているという話もよく耳にしました。ある時、施設の方が「風俗でもいいんです」と言うのを聞いて、僕は耳を疑いました。でも、その言葉には続きがありました。「生きていてくれたらそれでいい。死なない限りは、どこかでやり直せる」と。自ら命を絶った子を何人も見てきたその方の言葉を受けて、自分がいかに何も知らないかを痛感しました。親のこと、お金のこと、自分ではどうにもできない問題に追い詰められて必死でもがいている若者が、自分が暮らす京都市にもたくさんいたんです。
でも、彼・彼女たちはまだ若い。10代のうちにいい大人たちと出会えて、環境が変われば、可能性が開けるはずです。彼らと話していて感じるのは、「かっこいい」「おもしろい」と感じるものが固定化されているということ。お金を稼いで、こういう車に乗って……多くの子が同じようなことを口にします。狭いコミュニティの中で、偏った考えにしか触れないまま大人になり、子育てをする。本人が幸せなら、もちろんそれでいいんです。でも、そこで苦しむくらいなら、色んな幸せのかたちがあることを知って選択肢を広げてほしい。「かっこいい」「おもしろい」の基準によって、人生は変わるから。特に男子は、「今の自分ってダサいかも」と気づいた瞬間に行動が変わります。だから僕は、それまでの価値観をくつがえしてくれる人との出会いをつくりたいと思いました。
少年院を出た若者が、正社員になり、税金を納める側になれた
政府は出生率を上げて人口を増やそうとしているけれど、社会の現状を見ると難しいように感じます。僕はそれよりも、すでに日本にいる人がどれだけポテンシャルを発揮できるかを考えたい。自殺率を下げるとか、生活保護を受けている人が仕事に就いて納税者になるとか。
生活保護を受けている人の話を聞くと、決して働けない状態ではない人も少なくありません。何もしなくても月に十数万円もらえて、中途半端に働くと稼いだ金額が差し引かれる。なら働かない方が得やん、と考える気持ちもわかります。その人たちが仕事にやりがいを感じ、納税するようになれば、本人にとっても社会にとっても良いことしかありません。
今の日本では、少年院・刑務所を出た人が就ける仕事は限られています。仕事を続けられず、お金がなくなり、生活保護を受け、再犯をしてしまう。負の連鎖を止めるには、キャリア支援が必要だと考えるようになりました。
しかし、少年院・刑務所を出た人が暮らす更生保護施設に通い始めると、生活保護から抜けることがいかに難しいかを痛感しました。3年前に出会ったAくんという少年がいます。彼の話をしたいと思います。
少年院を出て生活保護を受けていたAくんは、僕の活動に共感してくれた経営者のもとで正社員として就職し、もうすぐ1年になります。少年院に2回入った彼が、再犯をせず税金を納める側になれたことは、更生保護の世界では理想的な事例です。この話をすると、業界の方たちは目の色が変わります。ただ、その裏には、周りの人々の苦労と手厚いフォローがありました。僕も何度も大阪に駆けつけて、Aくんや会社の方と話をしました。
Aくんから学んだことの一つが、お金をもらって仕事をすることの心理的なハードルの高さです。彼は色々なところでボランティア活動をしていました。ところが、仕事になると、できていたことが出来なくなってしまうんです。僕の会社の業務を手伝ってもらおうとしたのですが、約束の時間に来ない、やると言ったことをやらないなど、それまでにはなかったトラブルが続きました。お金をもらうと、責任が生じます。もらった分の価値を生み出さなければというプレッシャーに、耐えられないようでした。
こうした経験から、少年院のプログラムとして、働くことの練習をするべきだと考えるようになりました。少年院を出た若者の中には、世間一般の常識が通用しない子がたくさんいます。僕らや企業との約束に遅刻することを何とも思っていないんです。何度も冷や汗をかき、色んな人に頭を下げました。面接に遅れず行ける、失礼のない受け答えができるなど、社会人としての最低限のマナーとマインドを身につけていないと、就職先を選ぶことなんてできません。まずはこの社会との感覚や常識の差を少しでも埋めるために、少年院の教育プログラム開発に取り組むことを決めました。
この領域で成果を出せれば、社会の他の場面でも必ず役に立つ
Aくんを採用してくれた会社は、元受刑者を受け入れる「協力雇用主」に登録していない一般の企業です。社長が僕の活動に共感してくれて、Aくんに「うちにおいで」と言ってくれました。3人で飲みに行って、Aくんに真摯に向き合って色んな話をしてくださって、彼も入社を決意したのです。虐待を受けて育ち、親にも頼れず、「大人=理不尽な存在」という意識があった彼にとって、非常に大きな決断だったと思います。
僕に彼を紹介してくれた更生保護施設の職員さんたちは、Aくんの今後のキャリアについて悩んでいました。施設が連携している協力雇用主は、現場の解体などの土方仕事が中心です。Aくんは本を読むのが好きで、知的好奇心が強いから、彼に合う仕事につなげてあげたい、と相談を受けました。
僕たちは、イベントや打ち合わせ、飲み会の場にできる限り彼を連れて行き、色んな大人に会う機会を作りました。僕らが何かを教えるよりも、いきいきと仕事をする大人を見ることが大事だと思ったからです。
Aくんとの関わりは、僕にとっては勉強の日々であり、自分が試されているような感覚がありました。予想もできないトラブルが次々に起こり、その度に一緒に謝って、経緯を調べ、あちこちの調整に追われ……正直、ネガティブな気持ちになることもありました。これで諦めたり役割を放棄したりするようなら、更生保護に関わるのはやめるべきだと思い、自分の心情とも向き合いました。中途半端な姿勢で事業が成り立つ領域ではないので、僕自身が覚悟を決める必要があったのです。
近い将来、僕たちも少年院を出た若者を雇用できる事業をつくります。彼・彼女たちを受け入れる土台として、まずは属人的ではない、当日誰かがドタキャンしても回る事業が欠かせません。発達障害を持つ子の割合が明らかに増えているという現場の声もあり、何が自立支援につながるのか、多面的に検討していく必要があります。
最後に、声を大にして言いたいのは、この領域で成果を出せれば、社会の中で生きづらさを感じている人、力を発揮できていない人たちのサポートに必ず役立つということです。企業や学校などあらゆる場で、メンタルヘルスや発達障害に関する悩みが増えています。HIGH HOPEが提供するトラウマ治療やキャリアサポートプログラムが、社会のさまざまな場面で課題解決につながる可能性があります。
この点も、僕が更生保護・再犯防止に希望を感じる理由の一つになっています。
株式会社一(ICHI INC.) 代表取締役 中馬 一登
<次回へ続く>